あら皮/バルザック

2007/4/28-5/17
魔法の力を持つ「あら皮」を手にしたことにより運命が変わっていく、ある青年貴族の物語。軽薄な女性たちとの恋愛に一度は絶望した主人公が、裕福で洗練された魅力を持つフェドラ、貧乏暮らしだが可憐で思いやりのあるポーリーヌという対照的な二人の女性に惹かれてゆく。物語の中は『欲望』や『恋愛』に関する警句的な表現で満ちており、その部分だけでも読み返してみるのも面白いかもしれない。
「他方、浪費家のほうは、楽しみながら暮らし、馬を走らせたりする。たまたま財産をなくしても、徴税官に任命されたり、いい結婚相手を見つけたり、大臣や大使の参事官になるくらいの幸運にありつける。彼にはまだ友人や評判が残っているし、金ならいつでもある。世間のからくりを知っているから、それを自分に役立つように操作するのだ。うまくできてる話じゃないか。」(145)
「ぼくの宿命的な知識は多くのヴェールを引き裂いて、真実をあきらかにしてくれた。他人のために自分のことを忘れ、声や動作を絶えずやさしくたもち、他の人たちを満足させることによって気に入られるのが上品というものだとすれば、フェドラは洗練されてはいたが、自分が平民の生まれだという出自の痕跡をすっかり拭いさってはいなかった。無私の態度はいつわりだったし、振る舞いかたは生まれつきのものではなく、苦労して身につけたものだった。要するに、彼女の礼儀作法にはどこかしら卑屈さが感じられたのである。そういうわけで、お気に入りのひとたちにとっては、彼女の甘いことばは善良さの表れそのものであり、気取った誇張は気高い情熱だった。ぼくだけが彼女の見せかけの表情を研究し、世間をあざむくには十分な薄い表皮を彼女の内面からはぎとっていた。ぼくだけが彼女の猿まねにだまされず、牝猫のような彼女のこころを熟知していたのだ。馬鹿な男が彼女にお世辞を言ったり、ほめたりすると、ぼくまで気はずかしくなった。
それなのに、ぼくは相変わらず彼女を愛していた!詩人の愛の翼につつみこんで、フェドラの頑ななこころをほぐそうと思っていた。ひとたび彼女のこころを、女らしいやさしさに向けて開いてやることができれば、そして彼女に献身というものの崇高さを教えてやることができれば、彼女は完璧な女になり、天使のような女になるはずだった。彼女を手に入れるためには愛してはならないというのに、ぼくはフェドラを男として、恋人として、そして芸術家として愛していたのである。」(192-193)