沈める滝/三島由紀夫

2007/3/25-4/23
「女は理由もなく、ちょっと歯を露わすだけの、持ち前の吝しむような微笑をした。昇に対してもう自信をもっているこんな微笑が、彼にいつもながらの抽象的な喜び、「愛されている」という思い込みから来る女の心理的な自閉状態を外からゆっくり眺めている喜びを与えた。自分勝手にオートマティックに動いている心理は、まるで懸命に輪をまわしている二十日鼠の動きを見るような、純粋で無目的な運動の快楽を、見るものに与える。二十日鼠は、檻の戸をあけてやっても、めったにこっちへ向って駈け出しては来ないだろう。……昇はこの段階における女が一等好きである。」(32)
「昇は昨夜の菊池が帰りぎわに言った言葉を思い出していたのである。青年は決して残酷になれないと菊池は断定的に言い、昇は今までの女の苦悩に対する自分の想像力の欠乏が、ただ単に残酷さを装うていたのだと考えた。そして今の目前の事態は、この青年の硬い心が、菊池の言ったような無類の残酷さに達する一つの試煉のように思われた。
何故なら、何も知らずに言った瀬山の一言で、顕子がどんな苦悩に陥ったか、昇の想像力は十全に知っていた。彼には残酷になる資格があった。この瞬間に彼が飛び出してゆけば、彼は人生に負けた男になるだろう。しかしこの怖ろしい瞬間に耐えれば、昇はその当初に、石と鉄に似た物質として愛した女の存在を、そのままの存在に保ちつづけるだろう。」(268-269)