サンクト・ペテルブルグ/小町文雄

2007/2/17-2/24
「自国の文化と生活の伝統を重視し、絵画を通した国民啓蒙を目指した移動展覧派が結成されたころは、すでに農奴解放例が出されており、農民啓蒙をめざすナロードニキ運動のグループが活動するなど、社会改革の意識と運動はかなり広がっていた。その中にあってロシアの自然、各階層国民の生活、民話と伝説の世界、歴史的な事件および人物などのテーマを好んで取り上げたこの画家たちの関心が、様式や技法よりも「内容」に向かったのは当然のことだっただろう。
訴えようとするものが思想的、歴史的、文学的な内容を持っていたので、絵画の様式と技法は写実的なものになった。言ってみれば、ロシアでは絵画もきわめて文学的・思想的だったのである。光や色が織りなす新しいタイプの美の創造に夢中になっていた西欧の画家や評論家が、ロシア絵画に関心を寄せなかったのも不思議ではない。」(117)