獣人/ゾラ

2006/11/5読了
「自分でも奇妙に思われるのは、この砂漠のような奥まった片隅で途方に暮れ、胸の内を打ち明けられる相手もだれもなく暮らしているのに、昼も夜もひっきりなしに多くの男たち女たちが、嵐のように襲ってくる列車に乗って、家を揺すぶり、全速力で駆け抜け、次々と通って行くことだった。
もちろんフランス人だけでなく、どんなに遠いところの国の人でも、地球全体がここを通過していく。いまやだれもが家にじっとしていることはないし、みんなが言うように、すべての国民がやがてひとつになっていくだろう。これこそ進歩というものだ。すべての兄弟たちがみんないっしょになって彼方へ、夢の楽園へと進んで行こうとしている。彼女(ファジーおばさん)はその兄弟たちの数を、車両あたり平均いくらか数えようとした。だがその数が多すぎて数えられなかった。彼女はたびたび何人か見た顔があると思った。ブロンドの髭の紳士、おそらくイギリス人だろうが、彼は毎週パリへ旅行している。あの褐色の小柄な夫人、彼女は定期的に水曜と土曜に通る。しかし閃光のように一瞬のうちに彼らが過ぎ去っていくので、彼女には彼らの顔を見分けられたのかはっきり確信がもてず、すべての顔がぼやけ、混じり合い、同じような顔になって、互いに打ち消しあって消えていくのだった。列車の奔流は後に何も残さずに走り去った。列車が絶え間なくとどろきを響かせ、たくさんの幸せや金が自分の眼の前を通り過ぎても、この大勢の人々はいつもたいそうせわしなく先を急いでいるので、自分がここで死の危険に瀕していることをつゆほども知らないのだ。またある夜夫が自分にとどめを刺したとしても、列車はあいかわらず自分の遺体のすぐそばをかすめて通り、淋しいこの家の奥で犯される罪をゆめゆめ疑うことすらないのだ。彼女はこんなことを思って悲しくなってしまった。」
「彼(ルボー)は本当にそれが人殺しの労苦に値するものか疑問に思うようになった。しかしそれは後悔ですらなく、せいぜい幻滅だった。それは、人はもうこれ以上幸福になれなくても、今のままの幸福を維持するためにはそれを口外してはならないと、しばしば思うようなものだった。彼は大変おしゃべりだったのだが、長いあいだ沈黙に落ち込んだり、ぼんやりとした物思いにふけるようになり、その後ではもっと陰気になった。」
「もはや外の窓の下からは、雪で押し殺したような静けさに包まれて、鈍い車輪の回転音と、列車が発車する際の弱々しい泣き声のような汽笛が響いてくるだけだった。」
「こうして列車を破壊して多くの生命を犠牲に供することが、彼女(フロール)から片時も離れない偏執と化した。彼女は考えるのだった、並はずれて大きい、悲しみに満ちた心をひたすためには、できるだけ人の血が多く流れ、苦しみが深くなるような、またとない大惨事になればいい、と。」