舟越桂2012 永遠をみるひと/メナード美術館

2012/10/21鑑賞
舟越桂は、時代の無意識を表現する作家である。展覧会を見終えて感じた印象は、そのようなものであった。
彩色した楠に大理石の眼をはめた、古典的と言えなくもない作品。しかし、そのひとつひとつには、製作を通して捉えられた、時代の空気感が詰め込まれている。
たとえば、1980年代〜1990年代初頭の作品。この時代の像は、ほおけたような表情のなかに、意志のある眼をもっており、どこかノルタルジックな素朴さがある。思えば、これらの作品がつくられた時代は、日本が後進国的な側面を保持していた、最後の時代と言えるかもしれず、経済的な繁栄の一方で、素朴な、ある意味で単純な空気もあったはずなのだ。
氏の代表作とも言える1993年の『長い休止符』は、この時期の最後にあたる作品である。
2000年代には、氏の作風は一変する。作品には写実的な人間像ではなく、異様に小さい顔、長い首、奇形的な手や肩をもった、ちぐはぐな造形が表現されるようになる。そこにかつての素朴さは無く、つるりとした、作り物めいた印象を受ける。そこには、確かに2000年代の空気がある。
私がこの時代の作品を観て一番に連想したものは、「デジタル映像化」である。ぼやけたところのない、クリアでシャープな映像。しかしそこには豊かな陰影は無く、映像を通じて喚起される、あこがれや怒り、悲しみは、映像の表面を横すべりしてしまう感がある。この状況を、舟越氏の製作を通して表わせば、2000年代の人工的な像になるのではないだろうか。
そして、2012年の最新作『月の降る森』。この作品は2000年代の作品とはまた違う作風となっている。人工的な奇形な身体ではなく、人物は非常に肉感的だ。また、その下半身には、まるで胴体の一部のような、家が付属している。月光に照らされた人体は青く輝き、かつての像では表現されていなかった「光」が表現される。
一見して難解なこの作品に、2012年前後の具体的な事象を読みとることは難しい。しかし、2012年は、2000年代とは確実に別の段階に進んだ時代であることを、作品から感じることはできる。そして、この『月の降る森』は、2000年代の像よりも、私たちをおだやかな気分にさせるものであり、それは2010年代に生きる希望でもあると思うのだ。