『群衆の中の芸術家』 阿部良雄

2012/7/7読了

批評家ボードレール

新進の批評家ボードレールの新しさは、その目的とするものにある。すなわち、当時芸術の享受者となっていたブルジョワ大衆を啓蒙することが、彼の活動の目的であった。それは、当時の芸術界を支配していた「ブルジョワ芸術家(官吏的芸術家)」への対抗を意味するものでもある。
筆者はこの点を指摘したうえで、現代の価値相対化した芸術状況を以下のように指摘し、ボードレール批評の現代的意義を見いだす。

アカデミー=観点を軸とする絶対基準主義的=官僚統制的な生産と流通のシステムから、批評家=画商を中心とする個人主義的な生産と流通のシステムへの転換が、その極端な到達点において、価値の相対化の徹底が価値判断の停止を意味するような意識と言説を生み出したことに、注目すべきであるだろう。享受の対象としての作品は何でもよく、享受の主体としての鑑賞者もまた誰でもよい、とするのによほど近い意識であり、言説なのだ。(52)

このような言説の例として、「詩人や批評家の手になる熱烈もしくは晦渋なる賛辞というジャンル」が挙げられている。

ドラクロワ―最後の伝統的画家

ドラクロワボードレールというふたりのダンディ。しかし、19世紀前半のドラクロワが衒いなくダンディとして振舞えたのに対し、1848年の革命後のボードレールは、それを反語的にしか(批評的にしか)演じることはできない。
たとえば、ボードレールは彼の詩のなかで、色鮮やかなドラクロワの女性を賛美することができる。その一方で彼の恋愛は灰色なものとして謳われる。
ドラクロワのような英雄性は既に不可能である。それを意識したことが、ボードレールの現代性(モデルニテ)につながるのだ。

「偉大な伝統は失われてしまい、新しい伝統はまだ出来ていない、というのは本当だ」とボードレールが書く時、「新しい伝統」をいわば陰画的なものとしてしか予測していないとさえ考えられる。(118)

ボードレールはこの矛盾したような意識のうえで『悪の華』と『パリの憂鬱』を制作した。
悪の華』は定型詩という伝統的なジャンルで書かれているが、「その強烈な皮肉とパロディー化作業は、反語的にしか伝統を所有しえないと見抜いた明晰な精神の仕業として把握され得る。そしてここではダンディスムが伝統への幸福な帰属意識とは縁遠く、衰微を意識する時代にあって身を持ちこたえる「悪魔的な」精神の在りようとして働いている。」
いっぽうで『パリの憂鬱』には「伝統との苦闘から解放されてのびのびと現代の都市の空気を呼吸する「世界の精神的市民」の姿が見られはしないだろうか。」
しかし、この解放を描くボードレールは、すでに「自分の芸術の老衰の中での第一人者」に過ぎないのだ。

クールベ―伝統の変革者

陰画的な「新しい伝統」を表現する画家の一人が、クールベとなるのだろう。
かれは、既存の「伝統」の規範を無意味化するような、民衆芸術からの構図の引用や何らアレゴリーを含まない裸体画の制作を行う。
『オルナンにおけるある埋葬の歴史画』では、黒い燕尾服姿の無名の人士を登場させた、「何でもないできごと」を描いた作品である。そのレアリスムには、絵画の主題とすべき高級なものと、民衆的なものを脱構築する政治的な意図が現われている。
しかし、晩年のクールベは失墜する。絵画の主題にかつてのレアリスムを感じさせるものは無くなり、パリ・コミューンの失敗で挫折を味わう。パリの画壇から彼の姿は消え、その評価には、二〇世紀を待たなければならなくなる。

マネ―幻想を破壊する眼力

マネの作品には、無歴史性、色彩の開放など印象派につながる新しい様相が見られる。他方、マネが過去の巨匠たちを模写し、古典作品を下敷きにした絵を描き続けた事実もある。

古典的芸術と同時代芸術の描写との間の葛藤、という問題に直面せざるを得なかったことは、ボードレールにも当てはまることである。独創性とは必ずしも過去に対する無媒介的な<断絶>として成り立つものではなくて、伝統に対する関わり方の探求の中からこそ強力な否定的契機が芽生えてくるところに存するものだということを、そのどことなく割り切れぬ模索のうちに感じさせてくれる芸術家の標本として、ボードレールとマネを挙げることは、見当違いでもないだろう。(208)

ボードレールが年少のマネから受けた影響として、彼の伝統的な幻想に縛られないものの見方が挙げられる。たとえば、「母性愛」という幻想を否定するものとして、ボードレールは『綱』という作品をマネに捧げている。
そしてマネの幻想破壊力は有名な『オランピア』、さらには『マクシミリアン皇帝の処刑』にあらわれる。前者は、伝統的な裸体画で否定されてきた意匠を白日のもとに晒すものとして、後者は歴史画の「普遍性」の破壊として。

特殊が特殊としての明瞭性において自己を開示するときの迫力、それはもろもろの普遍性が一瞬のうちに雲散霧消すること自体の迫力でもある。「歴史画」への意欲とか、政治への関心とかいった意味づけの動機が出発点にあって、比喩的な言い方をするならば、そうした物すべての上に一発の銃声が鳴り響き、明るい光を浴びた透明・平静な世界が忽然と現れてくる。(230-231)

筆者が芸術に求めるもの

最終章は再びボードレールを扱うが、大都市と海を同一化する視点とか、港の美を純粋に造型的・匿名的に観る視点のことなど、内容が錯綜していた。
しかし、以下に引用する文章からは、ボードレールではなく、筆者自身の芸術に対する考え方が読み取れるように思えた。

(『パリの憂鬱』の中に習作的断章が挿入されていることについて)たとえばヴィクトル・ユゴーの、文句なしに完成作と呼ばれるに値する結構を備えた小説あるいは叙事詩のなかで、たとえばおどろおどろしい空の描写がいかに見事であり、文体論的あるいは主題論的分析によってそれがいかに見事であると証明されても、それがまさに文学的=芸術的な結構の中での見事さであるが故のよそよそしさは、われわれとしてどうすることもできないという事情と、正反対のものなのだ。(288)
自らの散文詩集の題として、『小散文詩』というのを考えたこともあるボードレール。一見気ままな小ジャンルを選ぶことによって得られる解放、その解放のもたらす危険を避ける唯一の道は、artを大文字で始まる「芸術」と思う不遜さをまだもたなかった人々の地道な努力がgrand artの名に値するものを生み出したひそみにならって、素朴な愛情を自らの技術(メチエ)に注ぐことだと意識していたのではなかったか。けだし、自由が自由として無償にふるまうのでもなく、技術が技術としておのれの巧みを誇示するのでもない、ひとつの均衡のとれた芸術世界が作り出されるためには、つつましい領分の選択、そしてあくまでも謙遜な態度を持してやまぬ緊張が必要であった。(295-296)