『アデン、アラビア』 ポール・ニザン

2009/8/7読了

理解しておくべきなのはこういうことだ。つまりアデンは、僕たちの母なるヨーロッパのぎゅっと凝縮されたイメージなのである、ここは圧縮されたヨーロッパなのだ。縦五マイル横三マイルという流刑地のように狭い空間に寄り集まった数百のヨーロッパ人は、西洋の地において生活を形作るさまざまな線や関係がより大規模に構成するデッサンを、驚くほど正確に複製していた。日出づる方が日沈む方を複製し、注釈を加えているというわけだ。(70)

冥界へ下降するときなのだ。故郷イタケに戻るにせよ、そうでないにせよ、オデュッセウスがとおってきた道程をすべて通らなければならない。どんな人間にとっても、無駄な思考や思想に値しない思想ばかりの領域、死者も同然の生者たちの住む領域がある。世界にある何もかもが禁じられていると思えるとき、内面生活がやってくる。ひとはもう内面生活しか待っていない。ぐだぐだ同じことをくり返したり、予言をしたりする自分自身の亡霊たちを呼び出すのだ。(87-88)

行動することによって、きみたちのすべての代数学とは別の共犯者たちが前面に現われ出ることになる。権力、欲求、所有といったものだ。すべてがこうした自然な共犯者らと折り合いをつけることを目指すべきなのだ。なのに、きみたちは、多くの策略と巧妙な慎重さをめぐらせて、正しい論理と聖なる商売人道徳でできた幕の下で、共犯者たちの声を押し潰そうとしている、この共犯者たちは、きみたちのブルジョワと裏切り者についての物語がにおわせているよりはずっと愛しやすいものだ。ただあまりにも僕たちの近くにあるので、どう名づけたらよいものかわからなかったのだ。つまりまだ人間的な関係の関心をひいたことがなかったのだ。
熱帯の砂漠にこんな当たり前の事実を発掘しに来る必要が、アデンまでパリの秘密を探しに来る必要があったのだろうか?帰国したとき、ほかの多くの人たちが、セーヌ川のまんなかをこうした真実が通り過ぎていくのを見ていたことを知った。でも僕は何も後悔していない。(97-98)

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)