死霊/埴谷雄高

埴谷氏のインタビューを読んだついでに、『死霊』の一部(ページを折った部分など)を読み返してみました。
改めて読み返すと、「虚体」「自同律の不快」「過誤の宇宙史」「愁いの王」など、インタビューで氏の主張していた部分が、自分でも強く印象に残っていたことが分かります。読み返す中で、物語の後半に行くほど、この小説の「宇宙的な」凄味が出てきていることも感じることができました。
自分の生きている世界を根源的に疑うことが、さまざまな登場人物によって主張されます。それらの人物の主張について、奇妙ながらもそれぞれ納得させられることろがあり、また読み返すときによって印象に残る部分が異なってくるであろうことも感じました。
今回は第九章の次の場面が、強く印象に残りました。口調はユーモラスながらも、ある種の原型的なものをひっくり返したい、そんな迫力を感じました。

ふむ、存在が存在の絶対秘密を何ものにも知られぬふうに、さて、かけた罠こそは、さあ、いいですか、安寿子さん、これこそが首ったけ理論がそこの黒川理論とまったく異なってしまう霊妙無比な眼目なのだが、それは、ほれ、イヴがアダムを、この全宇宙史の中でこの上もなく最高最大な「単純簡明絶対」な無理屈なかたちで、好きになってしまうということ――つまり、一粒の粒子ほどの「発展」もなく、数千年たとうが、数万年たとうが、まったく同じ愚劣、同じ情熱、同じ不安をもって、安寿子さんが与志君を、ぷぷい!そしてまた、熱烈な津田夫人が鹿爪らしい津田康造氏を、好きになってしまう、ということなのだ!

死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)