リアルのゆくえ/大塚英志・東浩紀

2001年から2008年の秋葉原連続殺傷事件を受けてまでの二人の対談がつづられています。
社会を扱った箇所では、東氏の「社会の工学化」が話題の中心となっており、『情報社会論』や『自由を考える』と共通する主張が述べられています。
いっぽう、人文科学的な話題としては、ポストモダン時代の物語の在り方が議論された、次の個所が興味深く読めました。

近代の物語とデータベース

神話的世界から切り離された近代的人間が、現実理解のフレームとして自然主義の言葉を利用する。ただし、自然主義的認識は国民国家の神話に裏打ちされているものであり、第二次大戦以降では、商品やメディアが神話的な機能を果たすようになる。現在はハリウッドのイメージなどのグローバルな商品=記号の集積が神話的な機能を果たしており、オタクのデータベースもこの流れに属していると捉えられる。(160)

「リアル」の表現方法の変化

佐藤友哉の小説に出てくる荒唐無稽な表現は、彼が札幌の郊外で生きている独特の荒れ果てた現実を言葉にする、必然的なものだと思う。彼は自分と世界との関係を誠実に言葉にしようとしているが、その感覚に自然主義的な言葉が追い付かないから、変なアイテムが入ることになる。(177)

これに対し大塚氏は、彼が見ている現実は非常にスタンダードなものだが、表現に用いている辞書が奇形的である、と述べ東氏の次の反応につながります。

そのように言ったら、現実はずっとなにも変わっていない。でも、現実を表現する記号のパターンが違えば、それはもう新しい現実と言えるんじゃないですか。(180)