太平洋の防波堤・愛人/デュラス 悲しみよこんにちは/サガン

2008/8/12-9/4

『太平洋の防波堤』

「「起きたって、なにができるのかわからないんだよ。あたしはもう、誰のためになにをしてあげることもできないんだよ」
彼女は話しながら両手をあげ、無力感といらだたしさをこめた動作でそれをまたベッドの上におろした。(中略)
今の彼女には、どの方角から近づこうと、かならずそのなまなましい傷口に触れることになってしまうのだ。もうどんな話題ももちかけることができない。彼女のおかした数々の失敗が集まってひとつの錯綜した網の目を形づくり、失敗同士が緊密な相互依存の関係になっているため、そのどれに触れても、ほかの全部がひきずり出され、彼女を絶望に追いこんでしまうのだ。」(322-323)

『愛人』

「彼は、パロディのかたちでしか、自分の感情を表現できない。父親に反抗してわたしを愛し、わたしをつかまえ、わたしを連れだすだけの力はこのひとにはない、とわたしは発見する。このひとがよく泣くのは、怖さを乗り越えて愛する気力が出てこないからだ。このひとが勇敢なのはこのわたしに対してであり、このひとが卑屈なのは父親のお金のためなのだ。」(385-386)

悲しみよこんにちは

「彼女は哀願に近い、心配そうな眼つきで、私の上にかがみ込んだ。彼女は、このとき初めて、敏感で内省的な人を見るような眼つきで私をみつめた。それも私がお芝居を始めたという日に……(中略)
彼女は、私の髪を、首すじをやさしく撫でた。私は身動きしなかった。私は、浪の始まりに、自分の下の砂がすうっと引いて行くときのような感じを味わった。やさしさや、負けたいという欲望が私の心を満たした。どんな感情も、怒りも、欲望も、これほど私を引きずったものはなかった。お芝居を止し、私の一生を託し、死ぬまで、アンヌの手の中に自分を委ねよう。私は今まで根こそぎ奪いとられるような、これほど激しい弱さを感じたことはなかった。私は眼をつぶった。私は心臓が止まってしまったかのように感じた。」(526)