チェーホフを楽しむために/阿刀田高

2007/9/25-10/21

チェーホフの恋愛観

「しかし、まあ、私としては、わからないこともない。この作品の主人公オーグネフは、女性には憧れていたがヴェーラを(本心において)好きでなかったのかもしれない。手近にあるものに憧れてはみたものの、いざとなるとある種の直感によって、
――それほど好きになれる相手ではない――
と心の警鐘を聞いたのかもしれない。
そして話はこのエッセイの冒頭に戻るのだが、よくよく考えてみると、恋というものは、まったくの話、夢中になるほどのものではないのかもしれない。そういう“早老”を感ずることは……つまりオーグネフが抱いたと同じ情念の薄さを感ずることは、おおかたの恋愛小説の通念に反しているが、その実、実生活ではけっしてまれではないのかもしれない。」(73-74)

チェーホフが伝えたかったこと

チェーホフは多義的な作家であった。多くを語ったが、これを訴えるというポイントは必ずしも明確ではなかった。それを目的とはしなかった。
だから後世は、なにを汲み取ったらいいのか、と考えてしまう。考えれば、なにかしら見出せないでもない。そこがチェーホフの魅力、と評することもできる。あえて私見を述べれば……馬齢を重ねた今、人生を鳥瞰すれば、私たちの人生はおおむね多義的で、曖昧で、結論のないものではないのか。よほどの人でない限りとくに訴えるものなど持ちえないし、そのときそのときで変化している。それこそがチェーホフが証言し描いたものではないか。それゆえにチェーホフは時代を超えて愛されるのではないか。」(294-295)