世界は村上春樹をどう読むか

2007/9/22-10/8

村上春樹が語る成功の理由

「不思議なことに、かつ素晴らしいことに――そしてここにこそ村上春樹の小説の驚異的な文学的成功の秘密がひそんでいるように思えます――村上の登場人物たちは、かつて確かだったものたちが崩壊していくことに、はじめこそ恐怖の念とともに反応するものの、やがてどんどん発見のスリルを示すようになるのです。「ガーディアン」紙のインタビューで、世界中でこれだけ多様な地域でかくも広範な読者層を得た理由を問われて、「僕の本は読者に、自由の感覚を――現実世界から自由になった感覚を――もたらすのかもしれません」と村上は答えています。言い換えれば、世界はわれわれに固定した予測可能な居住地しか与えてくれないという思い込みからの自由、われわれは変化することなき単一の統一的存在だという虚偽からの解放。」(50-51)

各国の村上春樹の受容状況

韓国

「日本に対する抵抗感が強いなか、春樹の作品は、日本文学という国籍を感じさせることもなく、広く受け入れられました。その最大の理由は、春樹の、とくに初期作品に感じられる「喪失感」というものが韓国の「三八六世代」といわれる人々の強い共感を得ていることでしょう。(中略)彼らは実際には挫折感、あるいは成功したあとの虚無感というものに襲われています。学生運動が成功したからといって、社会システムというのは強固なので沿う簡単には変わらなかったからです。たとえ改革を志向している人が政権を握ったとしても、改革の実現にはそこからかなり長い時間を要するのです。そういうわけで、彼らは自分たちの喪失感、虚脱感を春樹の文学の中に見出したのです。」(200)

ロシア

「小説の舞台として登場する現代日本もロシア人にとってはまったくの別世界のように感じられます。ファンタジックで本格的なミステリーのような筋書きのおもしろさや、ジャズの即興演奏のようなスタイルも魅力ですが、何より、主人公の自己認識の問題および社会のなかでの孤独の問題というのは近年のロシアにとってはひじょうに近しい問題です。ソ連崩壊後、新生ロシアでどのように生きるか、あるいは自分はソ連人なのかロシア人なのかといった問題にロシア人はぶつかっているからです。最近のロシア人の生活は、村上作品のなかのように、変わりやすく不安定です。そのようなことからロシア人は村上作品を通じて自分たちの社会のいろいろな問題を考えることができるのです。」(207)
また、ロシアでは村上春樹はひとつのファッションとなっており、カフェに入ればカバーをつけずに彼の著作を読んでいる若者も多いという。

ポーランド

「現代のポーランドは二、三十年前と違って、典型的な資本主義の消費社会になっています。競争社会のなかで、大都会では人と人との絆が薄くなり、生きる目的を探しても見つからないという若者も少なくない。生きがいのある新しい生き方を見つけられない人や自分の感情が表現できないため他人との親しい関係が作れない人はとりわけ村上の本に魅かれるようです。」(210)

フランス

フランスでは東欧諸国とは違い、村上春樹の作品にオリエンタルなものも見出した上で受容してるという。つまり、彼の作品を自分たちの問題には直接は結びつけず、ある程度距離をとって接していると言えるだろう。
「春樹は、いちばん若い世代というよりは三十代にもっともよく読まれています。春樹作品の主人公に近い、三十代の若い都会人です。この一月に翻訳の出た『海辺のカフカ』で村上は、普遍的な作家として認められたといえます。ただし、あくまでも普遍的な日本の作家として、です。フランス人から見ると、日本の伝統的なものが、『海辺のカフカ』のなかにでも、たとえば「もののけ」などに感じられるわけです。若者は、『源氏物語』などの伝統的な文学作品を通じてではなく、アニメなどを通して日本の「もののけ」という存在をある程度知っているのです。」(212)

ブラジル

ブラジルでは、日本文学はおもに日系ブラジル人を読者と想定して出版されているが、「最近になって、若いブラジル人が日本文学に興味を持つようになりました。それはよりコスモポリタン的な文学に興味をもつ層といってもよいでしょう。村上春樹はこの層に読まれているわけですが、それはあくまで日本人作家として読まれているといえます。」(214)

中国・香港・台湾

「中国本土のより政治的な読者はノン・コミットな村上春樹という作家を受け入れませんでした。これに対して香港や台湾はオルタナティヴな文化に触れたということもあるし、アグレッシヴでない生き方に対する共感も強かったので村上春樹を受け入れやすかったのではないでしょうか。」(223)
また、北京や上海の読者は村上春樹の描く都市生活を理解できていないのではないか、という指摘がある一方で、(この本では述べられていないが)それらの都市では村上春樹が若者の生活マニュアル本となっている、という話もある。