1/1 『東山魁夷(別冊太陽 日本のこころ)』
1/5 『伊豆の踊子』 西河克己
1/7 『七人の無頼漢』 バッド・ベティカー
1/8 『谷内六郎展覧会(冬・新年)』
1/12 『100万ドルの血斗』 ジョージ・シャーマン
『マイルス・デイヴィス自伝』 マイルス・デイヴィス、クインシー・トゥループ
1/14 『アメリカン・グラフィティ』 ジョージ・ルーカス
1/19 『荒野の無頼漢』 アンソニー・アスコット
1/21 『潮騒』 西河克己
1/26 『勇気ある追跡』 ヘンリー・ハサウェイ ※途中まで
1/28 『ガン・ファイター』 ロバート・アルドリッチ
十二月に鑑賞した作品
12/1 『夕陽の用心棒』 ドゥッチオ・テッサリ
12/3 『仮面/ペルソナ』 イングマール・ベルイマン
12/8 『ミネソタ無頼』 セルジオ・コルブッチ
12/10 『許されざる者』 クリント・イーストウッド
『オードリー・ヘップバーンのおしゃれレッスン』 大橋歩
12/15 『アラスカ魂』 ヘンリー・ハサウェイ
12/17 『叫びとささやき』 イングマール・ベルイマン
12/22 『マクロスプラス MOVIE EDITION』 河森正治
12/28 『くるみ割り人形とねずみの王様』 チューリヒ・バレエ
十月に鑑賞した作品
10/6 『E.T.』 スティーヴン・スピルバーグ
10/8 『思い出のマーニー』 米林宏昌
10/13 『真昼の死闘』 ドン・シーゲル
10/15 『パリの恋人』 スタンリー・ドーネン
10/20 『魔術師』 イングマール・ベルイマン
10/22 『美術展の不都合な真実』 古賀太
10/23 『愛情物語』 ジョージ・シドニー(途中まで)
10/27 『ハリー・ポッターと賢者の石』 クリス・コロンバス
10/29 『テキサス』 マイケル・ゴードン
『ひらがな日本美術史7』橋本治 2/2
岸田劉生「切通之写生」
二十五歳の岸田劉生にとって、目の前にある坂は「画家岸田劉生になるための坂」だった。でも≪切通之写生≫の坂は、もっと開かれた「誰にとっても存在する”人生”という坂」だったような気がする。近代の「道」の寂しさは、誰にとっても開かれているようで、結局は「偉大な一人」になるための道でしかないからではないか。新しく開かれた近代になって、「芸術」というオープンな領域を開いたはずなのに、でも――というところが、私にとっての「近代の寂しさ」である。(87)
近づける、自分も行けると思ったのに、置いていかれる感じ?なんとなくわかる。
明治の洋風建築
「日本家屋が当たり前にある地域に育った日本人」のくせに、私は西洋の匂いのするものに「懐しい」を感じてしまうのである。それはなぜか?この答は一つしかないはずである。つまり「方向は西洋化だ」という方向付けされた文化の中にいたから、脳みそが、「その当時の当たり前の日本的」には反応しなくて、「こっちに行くのが正しい」という形で存在していた「西洋」に反応してしまうのである。(116)
ありえたかもしれない未来を、更にその未来から振りかえること。
『ひらがな日本美術史7』橋本治 1/2
井上安治の浮世絵
東京名所絵のシリーズで≪日本橋夜景≫というのがある。伝統的な「当時の日本橋」である。伝統的な「浮世絵」でもあり、と同時に、「新しい近代絵画」でもある。「伝統的」に見えるのは、この日本橋がまだ江戸以来の面影を保っているからだが、重要なのは、画家の目の前にある日本橋川の夜景が、そっくりそのまま画面の中に浮かび上がっていることである。江戸時代の浮世絵の特徴の一つは、「そこに芝居がある」ということだった。風景画であっても、浮世絵には「芝居をしている」という感覚がつきまとう――つまり、「絵にする」というテクニックが必要なのだが、安治に絵にはそれがない。ただ「あるがままの風景」がそのまま絵になっている。そこが断然新しいのである。(23)
黒田清輝筆「湖畔」
私は、日本人が印象派の絵が好きな理由は、結構簡単に説明できると思う。それは、日本に春夏秋冬の四つの季節があって、それに対応する美意識が、雪月花の三つしかなかったからだろうと思う。冬の雪、秋の月、春の花があって、夏の対応するものがない。そして、印象派を育てたのは、ヨーロッパの澄んだ夏の光なのである。「雪月花があるのだから四番目もほしい」というのは、別に間違ったことではないと思うが、「雪月花の四番目がほしい」だけで、西洋の絵を我が物にしたがったわけでもないだろう。実のところ私には、「日本の油絵」が何を目指していたのか、よく分からないのである。(53)
狩野芳崖筆「大鷲」
「自分を確固とさせるものが必要だ」という点においては、日本にやって来たアメリカ人も、新政府の文部官僚も、その上に立つ新政府の権力者も同じだっただろう。「自分は間違ってはいない、正しいのだ」ということを肯定してくれるものに出会った時、近代日本の中枢に「美術の必要」は根づいたんではなかろうかと、私は思うのである。そのアイデンティティを作用させる力こそが、明治の日本画の「精神性」なのだとしか、私には思えないのだ。
その「伝統」は、すでにある。それは素晴らしい――「その力を、我々の現在を肯定するためにもう一度作動させよ」というのが、「伝統美術の方がすぐれている」に由来する、日本の伝統的画題のリクリエイトなのではないかと。(64)
高村光太郎作「手」「柘榴」
不思議と言うのは≪手≫が見せるそっけなさである。この作品を見ていると、作品に対する高村光太郎の「執着」が感じられないのである。「はい、作りました」ですませてしまう、作者の婉曲なるそっけなさを感じてしまう。≪手≫から六年ほどして、高村光太郎は≪蝉≫とか≪鯰≫とか、≪うそ鳥≫≪柘榴≫という、木彫りの小品を発表するようになる。これが、「僕の前に道はない」という作家の作品とも思えないくらい、いいのである。……そのように、彫刻家である高村光太郎の作品は、一貫してクールで、「客観性」と言いたいような冷静さがあるのである。ある意味で、高村光太郎は初めから「高村光太郎」として完成していて、だからこそ、「進歩してやる!」というような激しい執着がない。作者自身のその心持ちが見る者にも伝わってきて、妙に冷静になってしまうのである。(77)