『写真の読みかた』 名取洋之助

2009/7/24読了

写真の読み方のルールとは

レンズの眼の性質に人間が馴れたために、原因と結果をとり違えるのです。現在、低い建物を高く見せようとする時には、特に遠近感の強くなる広角レンズを使うのは、このとり違えを利用しているのにほかなりません。
こうした例は、このほかにも、いろいろありますが、いずれの場合も、写真を見せる側と見る人との間に、暗黙のうちにせよ、いつもあるルールがあることを語っています。粒子のあれた汚い写真ならば、何となく真実感があるというのも、一つのルールですし、上が細い建物は高いというのもルールです。
(中略)一枚の写真でも、読み方のルールを知っていれば、かならずしも、事実に制約されないのです。(71)

バウハウスの写真解釈の誤り

バウハウスの理論は「合理的なものは美しい」という言葉が簡潔に語っているように、建築ならば、まず、そのなかで人が住みやすくなければならず、ほんとうに使いやすい建築ならば、それが“美”であるというものでした。写真の最大の機能といえば、すでに写真の大量印刷が実用化されていた当時は、当然、コミュニケーションの手段なのですが、バウハウスでは、写真に関しては、レンズの特性や印画紙のうえの光のいたずらに、写真の機能を見出したのでした。建築でいえば、建物の機能を忘れて、鉄管やコンクリートの美しさだけを取りあげるのと同じ誤りを犯したのです。
バウハウスの理論が正しく解釈されていたなら、よい写真とは、写真の最大の機能であるコミュニケーションの手段として、最もわかりやすく、面白く、かつ感動させるものであるべきだった。作者が自分と、ごく少数の仲間で楽しむだけの写真などは、最大の機能を忘れたものとして、否定すべきであったのです。(88-89)

写真に対する心がまえ

私は写真を写す時、まず誰のために、何を通じて、何を語るか、ということを考えます。……何を写すか。どんなことでもよいから、社会的に意義のある作品を残すことが、報道写真家や雑誌社の第一条件であり、ジャーナリストとしての取材意欲の根本でしょう。こうして、しっかり自分の場がきまれば、自分の語りたいことをどう表現するか、という問題がおこります。(中略)私は、どちらかといえば、きたないもの、不愉快なものを強調するような写真技術を会得したいと思うことがあります。まったく、印画に現われる写真化学の美しさが、語ろうとすることを、邪魔することさえあるのです。……(182)

このほか、写真に「枠」があることによる人間の視点との違いの影響(40)、複数の写真の利用により抽象的なことを表現できること(58)、等の記述がある。

写真の読みかた (岩波新書)

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