一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代/ベンヤミン

2007/2/3-2/9
「私が自宅のロッジアで出会う午前は、すでにずっと以前から午前だったので、ほかのどこで出会う午前よりも、もっと午前そのものであるように思われた。私がここで午前が来るのを待つということは、決してありえなかった。常に午前のほうが、すでにそこで私を待ち受けていた。私がそこに午前をやっと見つけ出したときには、午前はずっと前からそこにいた、というよりも、いわば流行遅れになってしまっていた。」(474-475)
「小人が姿を現わすたびに、私は指をくわえて見ていなければならなかった。物たちはそんな私から逃れていき、ついには、庭も、私の部屋も、ベンチも、年を追うごとに小さくなってしまっていた。物たちは縮んでいくのだった。そして、縮んだ物たちにはこぶが生えて、それがこの縮んだ物たちを、小人のものにしてしまうかのようだった。小人は至るところで私の先廻りをした。先廻りをして、邪魔をするのだった。けれども、彼、この陰気な代官は、私が手に入れたものすべてのうちの半分、忘却という半分を取り立てること以外に、私には何もしなかった。「わたしのちっちゃな お部屋にいって/ムースをすこし 食べようとしたら/そこにせむしの 小人がいてさ/とっくに半分 食べちまってるんだ。」そんな風に小人はしばしば現われた。しかし、私がその姿を見たことは一度もなかった。ともかくいつだって、彼が私を見ていたのだった。」(595-596)