かなしいお話に触れたくて ―『ティファニーで朝食を』 1/2

 最近さみしいな、と感じることが多いせいか、悲しかったり、切なかったりするお話に触れたくなる。『ティファニーで朝食を』もそれがきっかけで読んだ本。映画が少し悲しい物語だったので、原作も読んでみようと思った。
 印象は、やっぱり映画どおりというわけではない。どちらかといえば、悲しさより、みずみずしさや都会的なさっそうとした感じが勝っている。そしてその中に、若干の切なさが混じっている。映画では、その部分少し強めに描かれたんだと思う。

 未来に思いを馳せながらも、僕は過去について語っていた。ホリーが僕の子供時代のことを知りたがったからだ。彼女も自分の子供時代の話をした。しかし、それは名前と場所を欠いた、要領を得ない、印象派絵画のようなお話だった。そして人がそこから受ける印象は、予想とかけ離れたものだった。彼女が語ったのは夏の水遊びや、クリスマス・ツリーや、綺麗な従姉妹たちやパーティーや、そういったまことに心地良い思い出ばかりだった。要するにホリーは、自分が手に出来なかった類の幸福について語っていたのだ。(87)

 引用したい文章もたくさん。特に会話が魅力的。もちろん現実にはこんな会話をしている人はいない。会話の中で、作者は自分好みの物語世界を作り上げている感じ。

「彼女はまやかしなんだよ。でもその一方で、あんたは正しい。だって彼女は本物のまやかしだからね。彼女は自分の信じている紛い物を、心底信じているんだよ。あの子をそこから引きはがすことは、誰にもできやしない。」(49)

「映画スターであることと、巨大なエゴを抱えて生きるのは同じことのように世間では思われているけれど、実際にはエゴなんてひとかけらも持ち合わせていないことが、何より大事なことなの。リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにもとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。」(63)

「野生のものを好きになっては駄目よ。ベルさん」、とホリーは彼に忠告を与えた。「それがドクの犯した過ち。彼はいつも野生の生き物をうちに連れて帰るの。翼に傷を負った鷹。あるときには足を骨折した大きな山猫。でも野生の生き物に深い愛情を抱いたりしちゃいけない。心を注げば注ぐほど、相手は回復していくの。そしてすっかり元気になって、森の中に逃げ込んでしまう。あるいは木の上に上がるようになる。もっと高いところに止まるようになり、それから空に向けて飛び去ってしまう。そうなるのは目に見えているのよ、ベルさん。野生の生き物にいったん心を注いだら、あなたは空を見上げて人生を送ることになる」(115-116)