『錯乱のニューヨーク』レム・コールハース 3/4

ロックフェラー・センター

 大恐慌中の数少ない進行中の建築であったロックフェラーセンターには、部外者からの魅力的な提案が常にもたらされる。委員会が非本質的な決定を延期すればするほど、求める解決法はかつてでは考えられもしなかった贅沢な形式をまとって現れてくる。
 こうしてロックフェラー・センターは目標をつねに高め続ける。通常の建築の創造的プロセスが地平をせばめてゆくことにたとえられるなら、ロックフェラー・センターの地平はたえず拡大してゆくと言えるだろう。こうして最終的に建物の各断片は未曽有の微細な検討作業に委ねられ、恐るべき数の選択肢の中から選りすぐられることになる。
 採用されなかったアイデアの数は、建ち上がったロックフェラー・センターの現在の佇まいから如実に感じとることができる。二億五千万ドルの経費の一ドルごとに少なくともひとつのアイデアが対応すると言ってよいであろう。(325)

輝ける都市

 ル・コルビュジェの摩天楼はビジネスだけを指向する。土台の欠落(マレイの庭園を作る余地はない)と頂部の欠落(競合するさまざまな現実の魅力的な主張もない)、それに厚みのない十字型を平面図とすることによって建物を容赦なく太陽光へと晒す過剰露出の状態、こうしたすべての要素のおかげで、マンハッタンのフロアを着々と侵略し始めていたどんな形の社会的営みによっても摩天楼は占有されることはなくなる、建築内部で建築イデオロギーのヒステリックな開花を許すための安定したゆるぎない外装を剥ぎ取ることによって、ル・コルビュジェは建築の大ロボトミーをさえ無効にしてしまうのである。(418)
 輝ける都市における彼の本当の意図は実はもっと破壊的なのである。彼は本気で過密の問題を解決するつもりなのである。彼が作り出したデカルト的囚われ人たちは芝生の上にぽつんと孤立して立ち、四百メートルの間隔(マンハッタンのブロック八個分の間隔)を置いて並んでいる。囚人たちは互いにいかなる関係も結べぬほど離れて存在している。(422)

国連ビル

 ハリソンはマンハッタンの無垢なる状態を回復させる。国連ビルのデザインの過程で――つまり国連ビルを理論から具体的物体へと転換する作業の過程で――、彼は慎重にその黙示録的要請――「我を建てよ、さもなくば……」――を取り去って、偏執狂を無効にしていく。
 ル・コルビュジェがマンハッタンから過密を抜き取ろうとしたのと同様に、今度はハリソンはル・コルビュジェの輝ける都市からイデオロギーを抜き取ろうとする。
 彼の感受性に富むプロの手腕のもとで、その抽象的で贅肉をそぎ落としたようなフォルムは軟化して、ついには複合体全体はマンハッタン囲い地(エンクレーブ)のひとつにして、ほかと同じブロック、マンハッタン群島を形作る孤立した島にすぎなくなる。
 マンハッタニズムは、とうとうル・コルビュジェを呑み込んで消化してしまったのだ。(466)