『ひらがな日本美術史2』 橋本治 2/3

藤原豪信筆「花園天皇像」

 似絵というのは、豪信の辺りで途絶えてしまった、王朝由来のリアリズムの流れなのである。「この人間の顔の描き方は肖像画としてウンヌン」などというつまらない詮索をしないで、素直に、その筆の美しさを見ればよいのだ――そうすれば、そこに描かれている人間たちの息づかいが聞こえてくる。それこそが素晴らしいことなのだ。(94)

那智滝図」「山越阿弥陀図」

 人は、見たものの中に、″自分が見たいもの″を発見するのだ。東から上る満月の神々しさを見た人間だけが、「西の山を越えてやって来る金色の阿弥陀如来」という発想をするのだ。私にはそうだとしか思えない。
 ≪山越阿弥陀図≫を見ると、「ああ、昔の人も、俺とおんなじように、山から上って来る大きな月に、何か神々しいものを感じていたんだなァ……」と思う。風景というものは、そのように、人間に必要な″なにか″を隠し持っていて、だからこそ人間は″風景画″というものを描くのだろうなと、私は思うのだ。(151)

雪舟筆「山水長巻」

 一体、雪舟はどういう″目″で中国の風景を見たのか?
 それは、″普通の日本人が普通の日本の風景を見るような目″だ。だからこそ、雪舟の≪山水長巻≫に描かれた″中国の風景″は分かりやすい。「ああ、風景だ」と思える。雪舟の絵の中にある″日本的″は、だから、そんなに特殊なものではない。それは、彼がたまたま日本の人間だからこその″日本的″で、別の言葉で言ってしまえば、″彼的″であり、″個人的″であり、″人間的″であるようなものなのだ。(159)

龍安寺石庭」

 勅使門の向こうの石庭がある方丈は、平安時代寝殿造りでいけば、お姫様が住んでいる「西の対」である。石庭は、この方丈の前の「前栽」に当たる。ここが「石を生けてある大きな水盤」であったとしても不思議ではない。この庭を囲む有名な「油土塀」の不思議な色や″低さ″も、石を生ける水盤と思えば、なんとなく納得が出来る。前栽に花の木を植えるように、この石庭の設計主(おそらくは細川政元)は、石を生けて「海」を作ったのだ。……
 龍安寺の石庭は、きれいな岩を「きれいだな」と思うための、いたってノーマルな庭園(前栽)なのである。……
「きれいだな」と思うことは、「恋をする」ということとほとんど同じで、室町時代は、男が花を生けて、石を愛した時代なのである。